2010年10月号 「教育制度の将来」
「若い世代の人たちへの教育は投資であり、またその国の将来に大きな影響を及ぼす問題である。」という考え方に反対意見のある方はまずいないだろう。
しかしそれをどのように進めていくかとなると、ほぼ全員が異なる意見を持っているに違いない。日本は資源が少ない、ほとんどないといってよい。唯一の資源は人である。勤勉で真面目、努力を惜しまず、礼儀正しい、また自己主張に徹さず周囲との和を重んずる。これが古くから培われてきた日本人のモデルとなる性格であり、これが戦後の経済成長の根幹になってきた。受験戦争、塾通い、詰め込み教育などと批判されてきたが、語学はともかく世界に通用する教育レベルを確立したことは確かである。米国ではいまだに店で買い物をして引き算ができず、つり銭は足し算で勘定するのが普通であることは米国を訪れた方なら承知の事実である。これは米国人の数学センスがないからではなく、米国に引き算を暗算で行う教育プログラムがないためである。彼らだってちゃんとしたプログラムがあればできるのである。それは僅かではあるが教育に携わって判明した。
日本は資源がなくても人材が優秀でしかも国民が人一倍努力したから今の地位を築けたのである。しかしそれが当たり前だと思ってはならない。今日本の教育の優位性は急速になくなっている。韓国、シンガポール、台湾、香港、ベトナムなど他のアジアに学問トップの座を奪われている。フィンランドなど北欧諸国もトップに並んでいる。それなのに日本は「ゆとり教育」で詰め込む教育はためにならないとして、逆行してしまった。経済が「失われた20年」なら教育も「失われた10数年」ということになろうか。
そもそも学ぶということはまずコピーすることから始まるのではないだろうか。社会で通用している手本や先生、上司のやり方を徹底的に真似ることから始まり、ある程度できるようになった時点で少し応用を利かせる、さらに進んで自分のコンセプトから入ってオリジナルなやり方を編み出すというステップで自分を伸ばしていくのである。つまり最初から自分のコンセプトから入ってオリジナルを創ってみたところで、そこには経験則がないからうまくいかないのが普通である。
そうして考えれば今教育で強く言われる創造性を養うことよりも、まずベーシックをしっかり学ぶことが求められている気がする。ベーシックがあって応用、創造という次の段階を踏めるのである。ベーシックを詰め込み教育だと位置づけてしまった日本の教育はせっかく長い間かけて培ってきた良い部分をなくしてしまった気がする。
米国は初等、中等教育においてレベルが低いといわれるが、大学で一気に世界一のレベルに達する。それは他国から優秀な学生が集まりしのぎを削る競争や実践的な内容を学べることなどがその理由とされている。しかし何より米国は国力が落ちたとは言え、世界のルールを勝手に変えることができる国だから、教育においても米国のシステムが世界標準になっていることは否めない。日本にそのまま流用することはできない。
では今後日本はどうすれば地盤を回復できるだろうか。
まず家庭である。家庭でしっかり子供にしつけをして協調性、忍耐、礼儀、寛容の精神を育むことである。親はしっかり自分が子供の見本となっているか、自問自答しながら毎日を過ごすことだと思う。子供は必ず親をコピーするはずである。自身への課題でもあるが、子供にコピーされて恥じないものを持っていたい。
また学校はただ楽しいところというのではなく、緊張感と達成感に満ちた場であることが望ましい。そのためにはある程度の厳しさが必要であり、教育に携わっている先生にもう少しリスペクトと権威を与えるべきである。今はあまりに親の無関心、無責任や生徒本人のわがままさや身勝手さが許されすぎている。米国がそうであるが、本来人を育てる立場にある人が受けるべきリスペクトを先生の多くが受けていないのをみるのは悲しい。日本はそんな米国のコピーはしなくても良いのである。
米国の教育で優れたところにプレゼン能力がある。小学校からパワーポイントを使ってみんなの前で説明することを要求される。話し上手でなければならないのである。実際企業採用面接のポイントでもコミュニケーション能力、プレゼン能力は採用基準の大きなウェイトを占めている。これはコピーすべきである。語学能力も必要である。日本語は世界では通用しないのだから、少なくとも外国語ひとつくらいは堪能になれる制度は不可欠である。
最後に米国にいる私から見て、若者はもっと海外に出るべきであると思う。別に住まなくても良いのだが、少なくとも異質の文化を知り、他国の人々とつきあうことによってより幅と厚みのある人間になれるのではないだろうか。
将来を背負う世代がますますドメスティックになって日本を出たがらないと聞くが、日本は自国だけではやっていけない国である。原料を輸入し、製品を輸出する、生産地を他国に求める、これらすべては外に出なければなし得ない。またそのためには他国の人々とコミュニケーションを図らなければならない。日本は便利で安全ですべてが充実しているから海外に出る必要がないという考え方は理解できる。しかし日本という快適な内部環境から時折外に打って出ることも必要であると思う。
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